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自分勝手なフィルター
尾上千恵子
 コロナ禍になって、会社が在宅勤務をすすめてくれるようになって、その間に定年を迎えたんですね。それで今、2年ほどが経っているんですけど、3年前に父が急に亡くなりました。
 それまで、ずーっと、私は専業主婦みたいなことをしたことがなくって、もう、ずっと、お仕事している人だけをやっていたんですね。それが“普通や”と、ずっと、思っていたんです。
 で、うちの母が「要介護3」なので、“誰かが家におらんとあかん”みたいな状況ができてきたので、母とずっと、家におったんです。近所に3つ下の弟がおって、弟も同じ会社で「在宅して、いい」となったので、二人で交代しながら、ずっと、やってきたんですね。
 最初はやっぱり、母がすごい具合が悪くって、精神的な状態がすごい落ち着かなくって、デイサービスに行ってほしいんやけど、「もぅ、イヤ。あそこ、イヤ。行きたくない」、「あの人がイヤ。この人がイヤ」みたいなことをすごい言って、行ってもすぐ帰ってくるんですよ。

 子どもの時から、“母はすごい苦労して、私たちを育ててくれた”と思っているから、私は母をすごい好きやったんですね。すごいおとなしくって、他所の人のことを悪く言っているようなことはなかったんです。
 だけど、お父さんがおらへんようになって、お母さんとほぼほぼ、二人でやっていると、よう文句を言いはるんですよ。
 自分の中で、“そんな人やと思ってなかった”という気持ちがすごいあって、母に“自分の勝手な理想”をもっていて、“お母さんはすごい良い人、お父さんは悪い人”って。子ども心に、自分の中で“何があっても、悪いのはお父さん、良いのはお母さん”と決めて、“もう、絶対、お父さんはきらい!”って。
 だから、お母さんが「今日、お父さんと喧嘩した」とか言っても、“お母さんは間違ってない。お父さんが勝手に怒ってる”、“お父さんがお母さんに辛く当たる”って、ずーっと、思い込んでいたんです。
 だけど、父が亡くなって、3年経って、いろいろ振り返っていくと、“イヤイヤ。実は、お父さんがすごい気にかけて、やってくれてたんかなぁ”と思うことがいっぱいだったんです。

 うちの父は母の具合が悪くなってから、洗濯とか、掃除とか、全部してくれていたんです。でも、父がいなくなったら、それって、自分でせなあかんわけですよ。
 ゴミを出す日が月曜日と木曜日にあるんですけど、その日は朝6時に起きて、掃除機かけをしないと、私は仕事に出かけられへんとわかって、昔は7時に起きて、自分の支度をして、「行ってきます!」と言うて出て行ったら、ええような生活を40年近く、それこそ、定年迎える1年前までは、それが当たり前でした。
 そのくせ、“自分は仕事に行って、お金を稼いできている”っていう変なプライドだけもっているから、自分を正当化して、“私は間違ってない。間違っているのはお父さん”って。
 でも、最近、つくづく、“お父さんがやってくれることに全然、感謝がなかったなぁ”と思って、今になって“あんなこともしてくれてたなぁ”っていうことに、すごい感謝してるから、“申し訳なかったなぁ”とすごく思うのと、“人って、勝手なフィルターをかけるよね”って。
 “お母さんは絶対、間違いない”と思っていたけど、実は、ものすごい気ままなところがあって、もうホンマに、片っぽどっか、目をふさいでて、“間違ってないって、思ってたんやなぁ”っていうのが、60歳超えてわかるというのもアレなんですけど……。

 いろいろとデイサービスの人とかも来られても、すごい愛想のいい方がおったり、全然、挨拶もせずに「ピンポーン」いうて、こっちが出るまで待ってはる人とか、いろんな人がいてはって、“一人ひとり、違うなぁ”って。
 すごい、入れ替わりデイサービスの人が来ることを見てるのと、“人って、よく見てみないとわからへんなぁ”って思うのと、逆に、“自分もそういうふうに、人に見られてるんやなぁ”って、すごい思うようになってきました。
 いっぺんにできへんのですけどね、やっぱり、“自分の見方も変えなあかんし、自分も人に対して、変えていかなあかんなぁ”って。母と二人きりになってから気がついて、“やっぱり、人っていうのは、自分の勝手な思い込みだけでやったら、あかんな”と実感している、62歳の今日の私でした。ありがとうございます。
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