娘が2人おりまして、上の子が今、大学3年生の21歳で、下の子が16歳、高校1年生ですけど、支援学校に行かせてもらっていて、障がいがある娘なんです。僕が在家仏教こころの会を始めさせてもらったのは、下の子が生まれてすぐに、病気があるということがわかりまして、何よりもすがるような思いで始めたのがきっかけです。
それから16年が経ちまして、今、16歳になったんですけど、本当に、途方に暮れていました。“どうして、生きていったらいいだろうか?”と、真っ暗闇の中を手探りで生きていくような気持だったのを、今でも思い出しますね。
で、その時は本当に、自分としては、ものすごい“苦”だというふうに受け止めていました。で、こころの会の活動の中に参加させていただくようになりました。
今日も実は、一緒に出させてもらっています、竹久さんと出会って、まぁ、いろんな方にも出会って、この16年間ずーっと、事あるごとに、実は僕、いろんなことを相談させていただいたり、些細なことでもいろんなことを話してきました。
その中で、16年経って、本当に今、思うことなんですけど、“この子は苦じゃなかったな”って。“この子は全然、苦じゃないな”というか、僕は、本当に……。
「この子によって、救われたなって思う気持ちが必ずくるよ」って、竹久さんに言われていました。その意味がまったくわかりませんでした。“いや、それはわかりませんよ”と、こころのどこかで思っていましたから。
“これは、この僕の苦なので、この苦はわからないよ”っていうふうに自分の中で、もがいたり、あがいたり、反発したりする気持ちもあったので、なかなか、それはすんなり受け入れられなかった当時の自分がいました。
今、思うことは、この子が本当に、実はもう16歳なんですけど、知的な部分、知的な面で言うと、2歳ぐらいなんです。ただ、とにかく元気な子で、毎朝、支援学校のバスに僕が連れて行くんですけど、バスに乗ると必ず、「運転手さんオハヨー!」「オハヨー!」って言うんです、大きな声で。なんのリアクションも返ってはきませんよ。
でも、わだかまりも、こだわりもなく、毎日、それをくり返して、「運転手さんオハヨー!オハヨー」っていう、その彼女を見てると“救われる”っていう言い方が、正しいのかどうかわかりませんけど、本当に、この魂は“尊敬に値するなぁ”と、僕は常日頃から思うんです。“この子が僕の元に……、来てくれたんだなぁ”っていうふうに、そう感じます。
いろんなところで、いろんな方のいろんなお話を聞かせていただいて、みなさんいろんな苦があって、違う苦がある中で、もがきながら自分と向きあって、生きている姿をいろんなところで聞かせていただくことによって、今の自分があるなっていうふうに、本当に最近、思わせていただいて……。
で、いつも、些細なことでも話を聞いて、「そうじゃないんだよ。そのうち、わかる日がくるよ」と支えてくださった竹久さんとの出会いも、すごく、自分にとっては本当に大きかったなぁって、今、改めて思います。これからも、一生懸命、生きていきたいなあと思います。