ちょっとしたことなんですけど、最近、「仏教セミナー」に出さしてもらって、お経のこととか、「こういう意味や」 、「ああいう意味や」って、みんなで、つどい形式で話し合いながらやらせてもらってて、それでこないだ、「方便品=『法華経』(妙法蓮華経)の第2章」の話があってね。
“この教えは、難解難入やから分からへんぞ” 、“そんな、簡単に分かるような教えやないんや”と。“仏にしか分からへんのや”って、書いてあるわけですよね。
それで、故久保継成先生が解説するには、ほんまは、仏しか分かれへんことやけど、最後、どんでん返しのくだりがあって、「求めるこころに立てる菩薩は別である」っていうふうなことが書かれてあるらしいです。
その「求めるこころって、なんやろう?」って。
ずっと考えていたら、ふっと、父親のことを思い出して、父親は2020年、今から4年前にコロナで亡くなってね。その当時、コロナの始めやったから、結局、死に目にも、まともに会えないで、親父は亡くなったんやけど。
昔 、「しあわせになるビデオクリップ」で話したことがあるんですけど、片目が見えなくて、片耳が聞こえへん父親やったから、やっぱり、運転もしてたんやけど、ちょっと、事故を起こしたりね、そういうことを若い時からしてて。
それでちょうど、70歳過ぎた頃に、亡くなる10年ぐらい前かなぁ、自分で免許を返しはったんですよ。家族としたら、安心やからね、“ああ、返して、よかったなぁ”っていうふうに、それで終わってたんやけど。やっぱり、自分も今、この歳になって、子どもが大きくなって、父親の気持ちっていうのが、だんだん、分かってきて、“そういえば、うちの親父”って……。
例えば、僕に「車、乗していけ」とか言うこともなかったです。でも、今になって思うと、やっぱり、“ひとの立場に立って、ものを考えるっていうこと、できへんかったなぁ”って、とても思うんですよ。
要は、「免許、返したで」っていうことは、父親としてみたら、“「たまには、車、乗してな」っていう思いがあったんじゃないかな”と思ってね。やっぱり、墓参りに行ったりとか、父親が好きなお兄さんが施設に入っていたりとか、そういうのも、なんとか自分で、電車で行ったり、僕のいとこに頼んだりして行っていたけど、でも、僕に頼むことはなかった。
僕は仕事で忙しそうにしてるし、頼みづらかったのもあるかもしれへんけど、でも、やっぱり、そうやって、要請はなかったです。
でも、今、考えると、“そうやって言ったっていうことは、やっぱり、「乗せて行ってくれよ」っていう意味やったんやなぁ”っていうことが、やっと、分かってね。“気づけた”っていうか……。毎日、お経あげてんのに、“なんで、分かれへんのやろう”って、自分もほんまに思うんですよ。
そうやって、今になって遅いけど、“気づいていける”っていうのかなぁ。やっぱり、自分で、ほんまに、“「求めるこころって、なんやろう?」って、考えながら、日々、生きていきたいなぁ”と。僕、今年、もうすぐ62歳になるけど、やっとね、そういうことが分かったっちゅうことやから、ホント、恥ずかしい話やけどね。
でも、これからも、“気づいて、生きていけるような人間になりたい”っていうかね、“そういうふうにしていきたい”と思います。