film
ビール一杯の愛情
山岡あや
 何年か前から、自分の“生い立ち”を思い出しながら“今を改善しよう”と思っているんです。
 私の父親は警察官をしていて、取り調べをして帰って来るとピリピリしていたんですよね。母親も「お父さん、帰ってきたから!」って。父親も怖かったですけど、母親が「ちゃんとせな、お父さん怒るよ!」、「オモチャも片付けな、お父さんが……」っていう中で“育ってきたなぁ”と思うんです。
 結婚した主人は父親と違って優しい人だったのに、“男の人は怖い”というのが先にあって、意味がわからずに“怖い”からすごく遠い存在に、“こころが通っていない”みたいに感じて、私が寂しい思いをしたんです。
 でも、“生い立ち”を考えた時に、母親がたぶん、父親のことをわかっていなかったんだって。母親も寂しい思いをし、でも、言いたいことが言えない。“相手に言えないっていう感じだったんやなぁ”って。
 そこがちょっとわかってきた頃から、主人に対しての思いが変わってきて、“主人が怖いと思うのは、自分の生い立ちからきているんやわ”って。私は“怖い、怖い”と思っていたから、ビクビクしていたんですよね。だから、ただ言っているだけやのに“怖い、怖い”と思っていて、「なんで、そんなに怒るの?」と聞くと、主人は「怒ってないで」って言われて、“えっ! 怒ってないんや”とわかってきたんです。

 それで、今は一つ細い糸が繋がったみたいな感じになって、そうなった時に主人は優しい人で、私は言いたいことがそのまま言えるようになったんです。“こんなこと言ったら、怒られるかなぁ?”と思いながらしゃべっていたのが、主人と普通に話せる。最近は私の方がちょっと怖くなってきたのかもわからないですけれど(笑)、私自身がすごく放たれた感じで、自由になれてきたんです。
 好きな人と結婚したのに“こころ寂しい”というか、“なんか繋がってない”って、遠く感じていたんですよね。主人が遠くに居てる、遠ざかっていると思っていて、私は一緒にどっかに行きたかった。だけど、主人は寡黙やし、一人行動が好きだって、そこら辺がわからなかった。だから、主人のことで寂しい思いをしていたんですよね。
 それをつどいで「なんかわからへんけど、寂しい」と言ってきて……。昔、自分のところが会社をしていて、お金がある時はお金で誤魔化せますよね。子どもと一緒に食事へ行ったり、お買い物をしたり、映画を見に行ったり……。でも、お金がなくなってきたら、逃げてられへんから、また、自分の“こころ”に向き合わなあかんと……。

 そこで、一番わかったんは、お金がなくなった時に「主人の優しさ」を感じたんです。ホンマに、お金のない時に主人がビールを買ってくるんですよ。二人ともビールが好きで、1本瓶ビールを買ってきて、それに私は腹を立つんです。
 “なんでこんな時に! もう、明日もわかれへん。なんでこんな時にビール買ってくんの?”と思うんやけれど、主人はコップを二つ持ってきて、私に先に注いでくれて、「まぁ、ちょっといいやん。今日ぐらいは」と。乾杯して飲んでいたら、最後の一杯分を私に入れてくれたんですよね。
 そこで、行動で“あっ、この人は私のこと、思ってくれているんだよな”って。わかっていたけど、態度で見せてくれるというのが、女性としたら一番、グッとくる。私はそうでした。
 大根とキャベツの生活している時に、二人で夏の暑い時に大好きなビールを飲んで、最後のビール、最後の一杯を私に入れてくれたのが、私にしたら“愛情”。“ビール一杯が愛情の表現”みたいに思ってしまったんです。
 そこらへんから、私が勝手に“怖い”とか“寂しい”と思っていただけで、主人はなんも変わってないんですよね。そこがわかってきて、自分の思い込みっていうか、“生い立ち”、“環境”というのは、恐ろしいもんやなって思いました。
Copyright©2023