誰もが人生、生きていれば、“この人さえいなければ”と一度は思ったことがあると思うんですね。
前の職場で新しく入ってきた子が、まぁ、宇宙人? 簡単にいうと、言葉が通じないというか。「こうだよ」って教えたことをまったくやらずに、別のことをやってしまう。それがだんだんとストレスになって、“こいつさえいなければ”と思うようになったんです。
でも、関わっていくうちに“あれ? 誰かに似ているな?”と、ふと思った時に、昔の自分に似ていたんです。昔の自分って、「無感動」、「無関心」、「無責任」だった。
そうすると、“なんだ、こいつ”と思っていたけど、親しみを感じてきました。「いなければならない人なのではないか」って、思い始めたんです。じゃあ、ちょっと真剣に育ててみようと。怒っても、右から左で全然、効果がない。じゃあ、怒っちゃダメだ。
子どものように、失礼な話ですけど、五歳児を相手にするように教えていくと、ちょっと、効果があるぞ、と。
自分が(会社を)辞めるまでの三年間、彼は意見を一切、言わなくて。会議でも何も言わない子だったんです。
で、自分が辞める最後の日に会議があって、「自分はもういなくなるし、君の代弁はもうできない。今度から自分でしっかりやらなきゃね」と言ったんです。そしたら、「ハイ」って。
「ハイ」って言ったけど、ちょっと、無理かなぁと思ったんですけど、最後の会議の時に初めて、自分の意見を言ったんです。
ああ、自分のやったことが無駄ではなかったし、彼によって自分もすごく育てられたなって、ひしひしと感じました。
教える、教えられるっていう上下の関係ではなく、お互いに育ててもらっている。これって“平等なのかな”と。
(H30・12・9『聞く 語る』WAKUWAKUのつどいより)