私はとても厳しい父の元で育ちました。時にはとても暴力的になったり、癇癪をおこしたりして、ほんのちょっとのことでものすごく怒る人でした。だから、5~6歳の頃には、家の中は常に怒り声が飛び交い、怒りと恐ろしさと混乱が支配していました。
そんなめちゃくちゃな状態の中で、私は幸運にも、母を通じて、9歳の頃、こころの会に巡り会い、そこでいろいろ話していくうちに、この教えを通じて、自分自身のこころの問題への答えが見つかるような気がしました。誰とでも気さくにいろんな話ができる、こころの会の雰囲気はとてもありがたいものでした。
教えの中で、まず、実生活を生きていくうえで、一番大きな違いをもたらしたものは、原因と結果の繋がりを理解することでした。それによって、人間の苦しみや生い立ちが、他の人々に同様の苦しみをもたらしてしまうことに気づいて、自分が父親から受けた苦しみは次の世代には引き継ぎたくない。そして、父親からの影響を遮断したいと、強く、強く思いました。ただ、遮断するなんて、上手くいくわけはありませんでした。
ある時、リトアニアの会員の人に父の話をしました。すると、「自分の思いを打ち明けて、お父さんの話も聞いて、理解するしかないんじゃない?」と言われました。それには、「時間がかかるかもね」とも言われました。それで、私は父親と話しあって、彼の答えを聞こうとしましたが、彼はなにも認めず、何も答えてくれませんでした。
でも、家族から父の生い立ちについて、話を聞く機会があり、彼の父親は更に酷い人で、もっと酷い扱いを受けて育ったそうです。私は先祖供養を通じて、父親のことを理解しようと努めました。
その後、私は体調を崩し、5年間にわたり、なにもせずに家で静養する生活を強いられました。私にとってはとっても苦しくて、つらい時期でしたが、あらゆる行動を制限され、孤独だった私はひたすら過去の出来事に思いを馳せるようになりました。
そんな中で、長谷川さんともよく話すようになり、自分が傷ついたことなどもすべて彼に話し、彼は私に“父母所生”という「法華経」の教えを思い出させてくれました。「父と母が結ばれて、自分が誕生したのだから、その事実は誰も変えることはできないし、それを不満に思ったり、イヤだと思っても、しようがない真実なんだ」と。
どうしようもない袋小路に入り込んで、一歩も前に進めずにいた私ですが、最後にたどり着いた真実は、父にそっくりな顔の自分でした。でも、真実を受け入れたことは、自分を前に進めてくれました。それは、無理をして、一気に最終ゴールを目指すのではなく、少しずつ、一歩、一歩前に向かってやっていこうと。小さな一歩、一歩を積み重ねて、遠くを目指そうと。小さな、でも、積極的な一歩を歩いていきます。