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“自分”の始まり
北川孝雄
 今年で定年に、60歳の延長定年5年で、65歳になるんですけども、“65歳の時に、自分の父母は何をしてて、何を考えてたんかなぁ”って、ちょっと最近、たまに考えたりするんですね。
 うちの親父がもう三十三回忌、今週の日曜日に母親が七回忌するんですけど、法事が近づいてきたから、そういうことを考えるのかどうか、わからないんですけど。

 父親がちょうど65歳の時は、朝晩、田んぼの仕事をして、昼間は外に働きに行って、68歳までいったら、あと、3年有るんですけども、3年間、ずーっと働きっぱなしだったんですね。で、68歳で脳出血か、脳溢血かになって倒れて、2年間、患ったんですね。長い、闘病生活でしたね。大阪の病院とか和歌山の病院とかを行ったり来たりしていまして……。
 で、母親が何をしていたかと言いますと、うちの父親の看病していたんですけども、やっぱり、和歌山に行ったり、大阪の病院に行ったりで……。父親が脳溢血やから半身不随になって、食べる物は口から入れられないから、鼻からチューブで流動食を入れたりするんですね。
 その時は、完全看護じゃなかったから、家族で介護をさせてもらったんですけども、母親の体重が半分ぐらいになりました。2年間の間にですね。非常にやつれてしまって、それでも執念で“いつかは治すんや”ってことで、“必ず、治すんや”って執念ではきましたけど、残念ながら70歳になるかならんで、亡くなってしまったんです。
 だけども、やっぱり、親父が68歳まで、死ぬまで働いた、死ぬ直前まで動いたということは、私の非常に励みになりますね。また、母親が執念でもって、生きていく姿を見ていたら、ものすごく、やっぱり、力強いもの、生きることに関してのバイタリティーみたいなものを、ものすごく感じますね。

 私は今、家族三人と、娘が一人、外で居て、一人で暮らしているんですけども、今まで本当に、“この家の嫁はんら、全然、感謝しないなぁ”と思って……。“息子らも私にも感謝しないし、亡くなった父親、母親にも感謝しない”と思ったら、自分が感謝しないからということに気づきました。今日、この会場へ来てからですね。
 で、やっぱり、本当に今、私ら結構に、何不自由なく暮らしているんですけども、やっぱり、この土台となってくれたのは、父母じゃないからと思っています。しっかり、これからも供養して、外へ向かって、これからも人の話をよく聞いて、自分を語っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
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