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ついに把んだ!
大塚廣明
 在家仏教こころの会が提唱している「『聞く 語る』 しあわせになる」。この「しあわせ」って、“どういうしあわせなんだろう?”って、私は最初から考えていました。
 世間一般にいうと「名誉だ」、「財産だ」、「健康だ」って、ただそれだけでもって「しあわせ」という“そういう、しあわせじゃあないだろうなぁ”と。『聞く 語る』、そして、何かに気づいた時に、“その気づきが「しあわせ」なんだぞ!”ということを教えているような気がしてならなかった。
 なんでそんなこと、今、言うかっていうと、つい最近、私、がんを患いました。それでね、自分の周りを見ているとね、「がん」と言われた人は2、3ヶ月もしないうちに、みんな、私のごく近しい人たちは亡くなっているんですよ。で、私も“もう、これでおしまいだなあ”って。聞いた時には頭が真っ白になっちゃって、“どうしたらいいかなぁ?”って思った時に、まずね、自分を納得させようと。
 なりたくてなったんじゃないけれども、そういう病気を受ける運命にあるんだから、この運命を受け入れて、残された何ヶ月か何年かわからないけども、“やっぱり、これは精一杯、生きる方法を考えなきゃいけない”と思っていたんですよ。

 ほんで、自分はね、一安心したような気持ちでいたんですけれども、ただ、私をとりまく会員や身内の人たちが、私以上に私のことを心配してくれてね。「だめだよ。なんとか生きなけりゃ」っていう言葉を聞いたり、涙を見せられた時に、自分はもう、自分で悟ったような感じになって、“もう死んでもいい!”なんて受け身の体制をとっていたけれど、“でも、ダメなんだな”と。私が戦わないで、私に寄せてくれたみなさんの思いはね、返すことはできないんだと思って、それで戦うことに決めたんですよ。また方針を転換して、“絶対に死なない。がんと戦ってみよう!”という気持ちになりました。
 その時に、在家仏教こころの会の久保継成会長が提唱している中で、「先祖があって、両親があって、そして、今、自分という“いのち”が今ここで生きているんだ」と。在家仏教こころの会では、「先祖というのは、『いのちの応援団』だ」って言っていますよね。「子孫の『いのちの応援団』が先祖」なんだと。そうすると、応援団だから私自身が何もしないで、先祖が応援してくれるはずがないんですよ。
 私自身が何かをやろうとして、戦うんなら戦う意思がなければ、先祖が応援するにもしようがないというところに気がついて、それでまず、“私は戦う”という意思を自分にもって、ほんで、後は、結果はどうであれ、“精一杯、自分が努力をしなければいけないんだ”っていうところに結びつくことができたんです。

 いただいたこの病気がね、本当は、がんなんて聞くのは、みんな嫌ですよね。頭が真っ白になっちゃうんだから……。だけども、決して、無駄ではなくて、考え一つで、自分のこころが感じること一つで、“どうにでもなるんだなぁ”と。私は今、このがんのおかげで、すごく、いろんなこと考えさせられました。自分じゃ気がつかないことを、本当にね、真剣に考えることができたのは、このがんだったんですよ。
 だから、そういうふうに考えると、在家仏教こころの会で言っている「しあわせ」っていうのは、「今、自分が健康だからしあわせ」とか、「裕福だからしあわせ」とか、そういう問題じゃない。例え、病んでいたって、今、いろんな面で苦しんでいたって、みんな平等に、『聞く 語る』を通して、“気づくことができた、すべて、しあわせにつながるぞ!”っていうことをなにか言っているような気がしてならない。そういうことを最近、感じました。
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