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お父さん エライ!
櫻井重彰
 昨日、つどいのテーマ別のコーナーで「生まれ育ちを考える」というところに行きました。
 その中で、親から受けた仕打ちって言っちゃいけないかも知れませんけど、仕打ち的なもので、“親父のこういうところは、真似たくないな。やりたくないな”で、“こういう良いところは、自分も子どもに受け継いでいこう”と、頭では思っていたんです。そういう話が出ていました。
 私もそうだったんです。でも、実際になにやっているか? 昨日、居た人も、ほとんど、そうですけども、みんな、自分の親とまったく同じことを子どもにしているんですよ。

 私が一番、親に対してイヤだったのは、「子どもの面倒は、中学までは義務教育だ」と。「義務教育までは親の責任だ」、「それ以降は親の責任はないから、自分がやりたいことがあるんだったら、自分で稼いで勝手にやれ」と。
 その時は高校、大学まで行かせてもらいましたから、「それは親がやってあげているんだよ」と親から言われて、もう頭にきて、大学の時に途中で家を出ました。「そんなことなら」って、私も反抗したんです。 2年間、自分でアルバイトをしながら授業料と、それから友達の下宿に転がり込みましたから、家賃を半分払って、自分で全部やったんですね。
 そういうようなカタチで、要するに、親が「養ってやっているんだ。文句、言うな」っていうことに対して反発してきたんです。でも、結局、うちの子どももある程度、成長した時に「自分を一人前の大人として見てほしい」とか、「一人前の人間なんだから、子ども、子どもしないで、きちっと見てくれよ」っていう部分で、やっぱり、親の私と意見が対立したんですね。
 その時に、子どもと私がケンカじゃないけども、口論になって、最終的に出てきたのは、親父と一緒。「お前、俺が金を稼いできて、面倒をみてるんだ。文句があるんだったら、自分で勝手にやれ!」って。自分が親に対してイヤだったことで、“これだけはイヤだ。自分はやりたくない”と思っていたことと、まったく、同じことをやっていたんです。

 そういうことをすごく気づかせてもらって……、やっぱり、みなさんとこうやって、話をしないで、個人でやっていれば、なんら気づくことなく、自分自身は“これが当たり前だ。親がやっていたんだから、私も当然”って、多分、思っていたと思うんですよ。
 でも、それはやっぱり、「在家仏教こころの会」の会員として、いろいろ行動をさせてもらって、みなさんの話を“聞く”、そういった部分で“気づく”、で、“目覚める”っていうのは、自分で“行動する”という部分ですよね。
 だから、自分が行動、語ることによって、みなさんから何を言われたかというと、「子どもに謝れ!」って言われたんです。私が「いや、悪いと思っている」って言ったら、「思っているだけじゃダメだ。子どもに頭下げて、言え!」と言われたので、子どもと話したんです。
 「これこれ、こうで、お父さんもお祖父さんからそういう思いを受けて、イヤだったけど、悪いことしちゃったね」って。
 そしたら、子どもが何を言ったかというと、「お父さん、上から目線でものを言うから、話をしたくなかった」と。「でも、謝ってくれたから、謝ってくれたんで……」と、子どもが「お父さん、上から目線で話をするから、話もしたくなかったんだよ」って言ってくれたんですね。
 だから、自分が気づいて、行動を起こさなかったら、子どもからの言葉も聞けなくて、ずっと、このまま、平行線でいっていたと思うんですね。「わからねぇ、子どもだ」と、「親に、世話になっておきながら、何をやっているんだ!」って、ホント、ずっと、思い続けていたと思うんですけども、子どもと話すことで気づくことができた。
 子どもを殺したり、親を殺したり、そんなあってはならないことが、日常、頻繁に行われているこの世の中で、どうやって、自分が行動していくか、どうやっていくか? やっぱり、家族が一番の最小単位ですから、家庭を明るくするためには、やっぱり、自分自身が変わっていく必要があるのかなと、私は思います。
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