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そのままを受け容れて
柳 博己
 娘が生まれる時に、1ヶ月早く、定期検診で行ったら、「すぐ手術しないと、もう、仮死状態です」みたいな、「心音がほとんど、聞こえない」って言われて、それでたまたま、京大病院に行っていたんで、1時間後にすぐ出してもらったから助かったんですけどね。
 その時に、わりと順調よく回復していって、“ああ、この子は、生命力のある子だな。助かったな“と思いながらいたんです。
 だけど、退院する時、お医者さんが「10歳になるぐらいまでは、気をつけといてくださいね」って言われて、それはやっぱり、気にはしていたんですけど、結構、明るくて、元気のええ子やったもんやから、わりと親の方ものんびり、構えていたところがあるんです。

 で、小学校に入る前、検査に行くでしょ。耳であるとか、歯であるとか。その時ね、聴覚でひっかかったんですよ。
 それはなにかっていうと、幼児言葉が長く抜けなくって、要は、耳に障がいがあって、高い音が聞き取れないんですね。そやから、“子音”っていうんですか、“さ・し・す”とか、そういう音が違って聞こえているから、しゃべるのが幼児言葉の発音になるんですね。
 お医者さん曰くは、「これ、手術しても治らないんです。耳は大丈夫なんです」と。「耳から音を識別する神経回路が、どっかでおかしいから、そう聞こえない。高音が聞こえないから耳を手術して治る病気じゃないんで、補聴器を一生、つけないとダメです」と。
 その時に嫁さんと話したのが、要は、親がこの子をなんとか、たとえば、「治したい」とか、「良くなれば」っていうふうに、親が一生懸命になれば、なるほど、子どもにとっては、ホントに、負担に思う。負担になるんじゃないかって。
 それと、やっぱり、そういう子どもができたっていうことを、嫁さんも負担に思ってほしくなかったから、「僕たちは、ホントに、フツーにいようよ」って。
 「子どもが元気で育ってくれて、その子がホントに“これも自分なんだ”」って。「最終的に、“生まれてきて、良かった”って思ってもらいたいから、そういうふうに思ってくれるような、子どもにできたら、育ってほしいね」って言って、今に至るんですけどね。

 まあ、僕も52歳になって、娘が中学一年で、言ったら、汚いおっちゃんの部類に、僕も入ってきたんです。だけど、時々、近くのスーパーに、娘を誘って買い物に行くんです。
 で、歩きながら、娘がね、「お父さん、私、障がい者?」って言うて、聞いたんですよ。「んー、そりゃ、障がいがあるから、障がい者じゃないとは言えんよなぁ」って言って、だけど、障がい者手帳はないんですよね。下の音が聞こえているもんやから。
 「障がい者手帳がないから、障がい者じゃないかって言ったら、そやけど、お前、障がいあるもんなぁ」って言いながら、歩いて行って、「そやけど、お前な、お前は明るくていいよな」って言ったら、「うん」って。
 「私ね、耳がちょっと聞こえなくても、そんなに変わんない」って言うんですよ。そういう話をしながら、「お前はホントに明るくって、そうやって、そのまま成長してくれて、お父ちゃん、嬉しい」って言ったんやけどね。
 こないだ、そういう会話が、歩きながら、そのやり取りの中でできたんが、僕はホント、嬉しかったんです。
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