うちの息子はイギリス育ちなんですけど、学校を卒業して、「お父さん、僕は日本で働きたい」と言って、6年前にパァーっと飛んできまして、それから京都にずっといるんです。
でねぇ、一昨年の11月なんですけど、僕がイギリスから帰って来たら、「お父さん」って。ちょっと真面目な顔して、「今、真剣につき合っている好きな子がいるんだけれども、ちょっと問題ありなんだよ」と言われました。「問題?なに?」って言ったら、要するに「一度、結婚したけど、離婚された人を好きになったんだ」と言ったんです。
僕もドキーっときまして、イギリスに帰って、長い手紙を書きました。「お前ねぇ、相手の人に同情して結婚するなら、絶対しあわせになれないから同情婚は絶対ダメよ」って送ったら、すぐ返事がきまして、「お父さんの言うことは分かります(、、、、、)」と書いてあった。「た(、)」という過去形じゃないということは、現在まだ好きだということですよね。
次に、2月に帰って来て、今度、聞いたら、「お父さん、もう一つ問題があるんだけど」って。「えーっ」って言ったら、「実は子どももいるんです」と言うわけです。その時に、僕は息子の正和にこう言ったんです。
「お前、独身でこれからという時に、それでいいの?」って言ったら、正和は僕に、「お父さんは僕が康子さんをしあわせにしたいとか、康子さんに同情して結婚すると思っているだろうけど、僕は、僕がしあわせになりたいから彼女と結婚するんだ」と言ったんです。
“自分がしあわせになりたいから”って。
その時に、ドキーっとしましてね。僕は在家仏教こころの会で、いつも「しあわせになる」とか、大きな声で、舞台に上がって言っておきながら、息子がたまたま離婚した人を好きになって、子どもがいて、それを理由に「お前、しあわせになるな」というようなことは、いくら親でもできない。すぐに「よし! 分かった!」って言いました、「応援する」って。
僕も相手の女性と子どもに会いたいから、みんなで、ビアガーデンで飲んだんですよ。そこに、子どもも来て、4歳でちょこちょこと歩いて来たら、ちょっと鼻声でよく見たら、南アメリカでよく子どもに出てくる病気なんですが、鼻の骨と上あごが未熟でよく聞いてみたら、息子は「9歳になったら、腰の骨を削って、こっちから移植して、ここへまた植えるという手術がもう決定されている」って言うんです。それが3度目のドキーっですよ。
で、「お父さん、もう最後に言うけどね、父親として、お前は嵐の中に飛び込んでいっているような気がするんだけど」って言ったら、息子は英語なまりで言いましたよ。「お父さん、嵐はね、嵐はしあわせの邪魔しないよ」って言ったんです。そうした時に、僕の“こころ”はすっきりしましたよ。
困難に向かって、しかも、「しあわせになるんだ」っていうような気持ちをもってやっている息子に、僕はものすごく目覚めたというかね、僕は息子からひとつ、いただきました!