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明日もふたりで
田中廣子
 今、主人は脳梗塞がひどくなっちゃって、車イスの生活で、会話がまったくできないんです。しゃべることはしゃべるんですけど、意味がまったくわかんなくって、主人がなんか言っても、「うん」とか、「あっそ」とかね、わからないから、いい加減な返事になっちゃうんですよ。
 あんまり追求するとケンカになっちゃうので、いい加減なところで「あぁ、そう。わかったよ」、「あぁ、そう、ふうん、いいねぇ」、「楽しいねえ」って。全然、違う会話だった場合に怒り出すんですけど、日常、そういうふうなのが積み重ねると、私もやはり、イライラするものがあるんですけどね……。
 最近のことですけど、主人は子ども番組が好きで、ふと、気がついたらね、童謡を歌っているんです。言葉は出ないのに、歌を歌っているんですよ。
 私が居ないと思って、歌っていて、私ね、結婚して初めてなんですよ。主人のその歌う声、可愛らしい声を出して、歌っている時に、なんとも言えないね。その今までのイライラしたことが、すっと飛んじゃうくらい、“可愛い人だね”と思っちゃったんです。

 その時に、“主人も小学生の時があったんだな”と思って、それから何日かした時に、ある書類を探す時にアルバムを見つけちゃったんです。その時に偶然、若い時の新婚旅行とか、ホントに楽しかった若い時の、病気しない時の写真をたくさん見つけちゃったんです。
 で、それをふっと見た時に、“こういう時があったのにね。楽しいこともあったのにな”って。今、病気で苦しんでいるから、“なんでこの人、病気しちゃうの?”とかじゃなくって、“楽しい時に私、どうしていたかな?”と思ったら、“主人に何にもしてあげずに、ただ、大事にしてくれるまま、自分が生活していた”って。
 そういうことを、ふと、思った時に、“じゃあ、いいこと、考えちゃおう”と思って、キッチンに立って、面と向かったら現実の顔がありますから、ダメなんですよ。だから、キッチンで後ろ向きに料理を作ったり、違うところではね、“あっ、若い時にこういうこと、あったなぁ”、“あそこ、行ったなぁ”とか思うと、とっても楽しくなるんですよ。
 最近、ホント、主人との楽しいことを思い出すことによって、私自身がずいぶん変わりました。

 “いつかは元気になって、治る”と思っていたんですけど、もう全然、それはダメで、「維持していくことを考えたほうがいい」と聞かされてから、“じゃあ、生き方、考えちゃおう”って。
 “治る、治る”と思わないで、“どれだけ良い生活できるか? この人とどんなふうにつき合っていけるか?”って、変えていった時から、少し私も変わったんだと思うんです。それからなんとなく、夫婦で笑う、会話がないけど、笑う顔の回数が増えちゃって……。だから、一人になったり、イヤな時には、楽しいことを思い出したりして、“主人になるべく、笑顔を見せて”と思います。
 だけど、24時間、一緒に居るとそうはいかなくてね、やっぱり、鬼になっちゃう時もあります。でも、最近、主人がホントに変わって、ニコニコしてくるし、私が変わると主人も変わるんかなぁ!? 私がきついし、イヤな顔をすると、主人だって、面白くないんですよ。
 今、主人が80歳になって、今年、お誕生日迎えた時に「今度は90歳のお誕生日、迎えようね」って、「それまで頑張ろうね」とか言ったら、お互いにやっぱり、ニコッとして……。
 悔やんでも、つらくって、言い争いしても、一生。笑っても、一生じゃないかなって、最近、少し、自分を変えていくようにしました。
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