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Vol.139
“お母ちゃん”
笹川久美子さん
 九十八歳の母が、去年の九月から老人ホームに入りまして、痴呆症が進んできました。
 きょうだいが三人いるんですが、一月に“もう延命治療はしません”ということにサインをするため、実家に帰りました。その時、母と会ったんですが、私は「オバアちゃん」と声をかけたんです。
 でも、母は私が娘だと分からなくなっていて、“誰だろう?”って。帰る寸前に、“ああ、娘だ”という確認ができて、自分としてはちょっと悲しい思いをしました。
 実家で一緒に暮らしていた兄嫁さんは、会えば、すぐに「あっ!お母さんが来てくれた。嬉しい!」って。本当に嬉しい顔をするし、兄が来れば、「あっ!お父さんが来てくれた。嬉しい!」って。“私は娘なのに……。まあ、仕方がないよね。四十年近くも一緒に居ればそうなるよな”と、自分に言い聞かせて帰ってきました。
 三月、また母に会いに、夫と二人で行きました。その時に考えたんです。母にとって私は“娘”で、私にとっては、やっぱり“オバアちゃん”ではなく、子どもの頃から呼んでいる“お母ちゃん”なんですよね。
 で、会った時に「お母ちゃん、元気だった?」 と言った、そのひと言で母の回路が繋がったんです。「あっ!久美子か?」と言うから「そうだよ!」って。
 “子どもの頃から呼んできた「お母ちゃん」で繋がったんだ”と思った時に、やっぱり、“オバアちゃん”ではない。私にとっては“母”、“母親”で“お母ちゃん”なんだって。
 母も本当に嬉しそうな顔をしてくれて、分からない時と分かった時では、顔の変化がすごいんですね。だから、認知症と言われていても、感情がでるんだと本当に実感しました。
 これからも「お母ちゃん」で会いに行こう!と思います。