No.32

結婚って、不思議やな、
今、家族って聞かれると両方家族。
この家族に会えてよかった!

埼玉県熊谷市 湯澤真弓(30歳)

お父さんを見つめる家族の目

 主人は結婚するまでお父さんと妹、弟の四人暮らし。お母さんは他界し、お父さんは脳梗塞の後遺症と統合失調症という心の病を患っていました。主人は長男で、金銭的にも、精神的にも、先頭に立って両親を看てきたようです。今まで主人の負担が大きかったから、妹と弟に「結婚するまでオヤジのことを頼む」と言って、きょうだいも「わかった」って。それで、私たち夫婦は隣の市に新居を構えることにしました。
  結婚当初は、家から一歩も出られませんでした。初めての土地で、隣の人も知らない、友達もいないし。だんだん口数が少なくなって、主人から「なんで、黙ってるの?」と聞かれても、「別に、わからへん……」って。ずっと両親と生活してきて、私も一人暮らしの経験はなかったんです。だから、それが“さみしい”という気持ちだとわかるまで、時間がかかったんですね。でも、“これから!”と思っている時に、お父さんが脳出血で倒れたんです。
  病院に駆けつけると、主人やきょうだいがお父さんを見つめる目が違うんです。今まで 主人は“オヤジは人と違う”と思いながら生きてきて、私もお父さんの心の病についてはよくわからなかったけど、みんなの目が“愛してる”っていう目。泣きそうになりながらもみんな大人だからたえて、黙って、ずっとお父さんを見てるんです。その“お父さんに生きていてほしい”っていう思いが伝わってきて…。今までも、「お父さんを大事にしよう」と思ってはいたけど、「本当に大事にする!」って初めて思えたんです。脳梗塞の後遺症と心の病のお薬の副作用で名前も覚えてもらえてなかったし、そんなには仲良くなれていない状況だったけど、両親とは違うこのお父さんを“大事にする”って感じた気持ちはここから始まったんです。

なんでこんなに優しいの?

  お父さんが入院した翌月が私の誕生日だったんです。でも、心の中で“誕生日どころじゃない” って思ってました。それやのに、きょうだいたちが「真弓ちゃんのバースディーパーティしよう」と言ってくれて、主人の実家に行ったら、クラッカーがパンパーンって。ケーキがあって、お寿司があって…。思い出しただけで、泣けてきちゃうんですけど…。
  私なら、自分の親が入院している時に“誕生日のお祝いをしてあげよう”っていう気持ちになれないなって。妹も弟も私より若くて、自分のことでいっぱいいっぱいのはずなのに、“なんでこんなに優しいの”って。血のつながった家族じゃない私のことも受け入れてくれているっていうのがよくわかったから、「妹と弟を大事にする!」って思えました。
  その後、きょうだいでお父さんのことを話し合いました。数年前の主人は“俺が大黒柱”という思いで「支えなきゃ」とやってきて、でも、他のきょうだいたちも頑張りすぎて、それぞれが負担に感じていました。その思いを教訓にして、「誰か一人だけが頑張るのはやめよう。それぞれができることをしよう」という結論になったんです。

家族それぞれの苦悩と叫び

  一ヶ月ほどでお父さんは退院できたんですが、付き添い介護が必要だったのでショートスティを毎日使って、お泊りさせてもらっていたんです。そして、しばらくして、家に戻れるようになったんです。でも、ショートスティの間は「頑張って家に帰る」という目標があって、活き活きしている感じだったのが、帰ってくるとだんだんと目が生きてないというか、明らかに無気力でした。
  それで、「どうする?」って、また、きょうだいで話しあって、デイサービスに通い始めたんです。“これで、なんとかやっていける”と思って、私も主人との家庭づくりを考え始めたんです。
  それがある日、弟が帰ってきたら、お父さんがいなかったらしく、“デイサービスかな?”と思っているところに近所の人から電話がきて、「お父さん、泥だらけでいるよ」って。弟が家を出ると、お父さんが帰ってきて、泥だらけになって満足して笑っていたそうです。そこで、弟の中で溜まっていたものが爆発したんです。
  メールで「もう無理です。オヤジをどこかへ預けることが無理なら、出ていくことも考えます」って。読んだ時に、“そこまで思いつめていたんだ。早くわかってあげればよかった。でも、伝えてもらえてよかった”。私も主人も動揺したけど、夫婦でいっぱい話しあって、主人が「家族の誰かが何かをしなきゃいけないんだよ。今、俺はそれができる。だから、俺がしなきゃ」と動いたんです。
  再び、お父さんは施設に入ることになったんですが、電話が毎日かかってくるようになりました。私はお父さんの心の病のことをよく知らなかったので、主人に「さみしいだけちゃうの?」って。あたかもお父さんの気持ちを知っているかのように言って、「そうじゃないんだよ」と言われても、「『そうじゃないんだよ』じゃ、ないやん」って。でも、心の病がそうさせていることがいっぱいあるって、だんだん分かって来ました。そんな中でお父さんのやさしさを感じるようになったんです。
  施設で片手に収まる小さなお菓子が出て、食べることが好きだから、すぐに食べると思ってたら、“パキ”と折って「食えよ」って。お父さんは自分のことだけを考えているわけじゃない。家族のことも、私のことも思ってくれてるって。
  私もお父さんの心の病のことを理解しはじめていった時に、人から「お父さんをもっと愛してあげな」って言われて、私は“なにが愛やねん”“愛ってなんやねん”“なんで、何も知らん人に言われなあかんの!”って。
  家族の状況で仕方なしに預けなければならないから預けているのに、「家が一番なんだよ」って言われると“私たちだって、一緒にいたい”って。お父さんのせいでもないし、私たちのせいでもないから、“我慢せなあかん”とグッと耐えてきました。

お父さんの居場所探し

  ケアマネジャーさんと相談して、「どこまで遠くても会いに行くから、お父さんにとっていい場所を探してほしい」とお願いしたんです。すると、「ここなら」と探してきてくれた施設は、お父さんの心の病のことを理解している看護士さんが常勤でいました。その看護士さんから「大丈夫ですよ」と言われて、逆に“ほんまにええの?”って。
  でも、先生もじょうずにお父さんと接してくれて、“薬を増やせばいい”という考えではなく、お父さんの目線までちゃんと膝を曲げて話を聞いてくれるんです。ケアマネージャーさんも、私たち家族の話も聞いてくれて、「お父さんも大切ですが、ご家族も大切です。頑張ってますね」って言われて、涙が出ました。それまで、“どうして、ちゃんとできへんのやろ”って自分を追い込んでいたけど、“頑張れているんだ”って、うれしかったです。その施設での生活の中で、お父さんも最初はその看護士さんにしか心を許せなかったんですが、心を許せる人がちょっとずつ増えてきて、運動会で奇跡的な一場面を見せてもらえたんです。
  その日たまたま施設の支払いに行って、“お父さんの顔だけ見て帰ろう”と部屋に向かうと「湯澤さん、こっちですよ!」と声をかけられて行ったら、「今、風船バレーボールやってますよ」って。見たら、お父さんが風船に向かって構えているんです。そこでびっくりして、また涙が出ました。
  みんなと同じことをするのを絶対に嫌がるお父さんが、風船を真剣に見つめて、“いつ打ってやろうか”って顔をして、最後のフィニッシュをお父さんが“パーン”って。みんなと一緒にとても楽しそうなお父さんを見て、“なんでここにいるのが、私だけなん”って、携帯で写真を撮って、主人、妹、弟に「すごくない!?」って。みんなで喜びあって、また会った時に「めっちゃうれしい~」って話して、みんなも涙を浮かべて聞いてくれました。

今の素直な気持ち

「大変とまったく思わなかった」と言ったら、ウソになります。でも、全部含めて「よかったな」って思えます。
  今までの時間がなかったら、主人やきょうだいが“お父さんをどう思っているか”がわかるのに時間がかかったし、私も“お父さんを大事にする”“妹や弟とも一緒に生きていく” と感じられるまでにもっと時間がかかったと思います。やっぱり、家族の中で“ひとりぼっち”じゃない状態で、この家族だったからやってこれたし、これからもやっていけるって。この家族に入らなかったら、今の私じゃないし、この家族と一緒にいると、いっぱいいっぱい感動する出来事があって、いっぱいいっぱい喜びを感じられるんです。だから、全部に「ありがとう」って言えます。
  結婚して少し優しくなれたと思います。私の育った家族とはまた違う家族の関係や状況の中で、自分の両親に対する気持ちが変わりました。主人や主人のきょうだいたちから亡くなったお母さんに対して、「こうしてあげたかった」っていう言葉が出てきた時に、“自分はどうなんやろ? 口ゲンカしてる場合じゃないな”って考えさせられるし、「お互いに生きているうちに思っていることを言葉でちゃんと言わなあかん」って。でも、簡単に会える距離じゃないから、帰った時に「また生まれ変わったら、ママの子供になりたいわ」って言えたんです。そしたら、すごく喜んでくれて…。ほんとにそう感じたから伝えられたし、素直に気持ちを言えるようになったのは主人をはじめ、お父さん、妹、弟のおかげだなと感じています。
  やっぱり、結婚って不思議やなと思います。他人だった人と一緒に暮らして、そこから家族をつくっていく。私は主人と結婚して、この家族に会えて、本当によかった。でも、まだまだこれからですけどね。

(大きな乗りもの 2008年03月号)

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