No.25

自分だけがガマンしていても
何も解決しない。

高知県高岡郡 岡本保子(66歳)

 主人と私は、お見合いで結婚しました。私が24歳になったばかりの冬の明け方、私は夢を見ました。四頭立ての馬車が私を迎えに来た夢です。その日の夕方、知人が主人とのお見合い話を持って私を訪ねてきたのです。
夢の中の四頭立ての馬車が来た方角は、主人の家の方角と同じだったことにさらに驚いた私は、これは幸せになれる縁談に違いないと思いました。そんな勘違いも手伝って、トントン拍子に話が進み、以後40年にわたって、あの日見た夢は何だったのだろうと、自分の浅はかさを後悔し続ける毎日を送ってきたのです。

言い争いの絶えない家庭

 結婚してまず驚いたことは、義母と主人、義母と義理の祖母との毎日の言い争いでした。私の実家は家族みんながいたわり合って、ケンカなどしたことのない家庭でしたから、本当に驚きました。
主人は5歳の時に父親を戦病死で亡くし、父親の面影も知らずに育ちました。
義母は女ばかりの5人姉妹の長女で、婿養子を迎えて自分が跡を継いだのです。気性の激しい性格で、人に頭を下げること、人に言われて何かをすることが大嫌いな、近所の男の人さえ一目置くほどの男勝りの性分でした。
そんな母と、母そっくりの性格の短気な主人が衝突しないわけがありません。
いつも義母とケンカをしては家を飛び出して、お酒を飲み歩き、女遊びをする。そんな主人に、私はただおろおろするばかりで、義母には「おまえの監督不行き届きだ!」ときつく叱られる毎日でした。

私がガマンすれば…

 そんな最悪の結婚生活の中でも、長女、長男と2人の子供に恵まれました。
子供が生まれたら主人も家庭を大事にしてくれるだろうと期待していましたが、それも期待はずれに終わりました。
必然的に私が主人の代わりに一家を背負って働かなければ生活ができません。ハウス栽培をしていましたが、朝から晩までくたくたになるまで働きました。そして、夜になるとお酒を飲んで帰って来ない主人を連れ戻さなければ義母に叱られるので、知人宅や飲み屋を探し歩きました。
私がお酒を飲むのを止めようとすると、主人は鬼の形相で、「おまえなんかより、えい(いい)女はなんぼでもおるき、ここから出て行け!」と怒鳴られる始末です。
毎日、夜になると精神的にも肉体的にも疲れ切っているのに、我が身の情けなさに涙がこぼれて寝つかれませんでした。
「死にたい!」
そう思ったことも何度もありますが、実家の母に相談しても、普段はやさしい母なのに「あんたが変わらないかん」と言われるばかり。決して主人のことを悪く言いませんでした。
かわいい我が子のために私が踏ん張るしかない、私さえガマンすれば……、そう言い聞かせる毎日でした。
結婚して14、5年経った頃、主人の女性関係が発覚しました。血の気が引きました。お酒だけでなく、こんなに私を裏切るのか、こんなにも人の気持ちを踏みにじるのか……。自分が惨めで仕方がありませんでした。
それでも、誰にも言わず、自分の胸の中に収めようとしました。辛いけど、それを口にしたら何もかもが終わるような気がして……。
とにかく一生懸命に家のために働かなくてはいけないと、仕事一筋に生きてきた私でした。仕事だけに没頭しました。それ以外に神経を使う余裕がなかったのです。
結局、私が仕事をして一家を支えるのだという一念が、主人の酒癖にも女癖にも目を背けさせてきたのかもしれない、逃げていたのかもしれません。
あとから考えると、私のそういうところも事を重大にしていった一因だとも思うのですが、そうして生きていくより他に、当時は何の解決策も見出せずにいた私だったのです。

義母の思い

 そんな私に対して、最初は本当に厳しく恐かった義母でしたが、家のためによく辛抱して働いてくれる嫁だと言って認めてくれ、口は悪いけれど、本当に良くしてくれました。そして、ポツリポツリと自分の身の上話をするようになったのです。
話を聞いてみると、どうやら義母は、子供の頃から、実の母から5人姉妹の中で一番かわいがられず、むしろ疎まれて育ったらしいことがわかりました。
実際、実の親子なのになんでこんなに仲が悪いのか、私も不思議に思っていたのですが、若くして夫に先立たれ、憎しみ合いながら実の母と暮らし続ける毎日は、義母にとって耐え難いものだったようです。
結局、2人の関係は修復されないままに、実の娘に世話をされることも拒み、身の回りの世話一切を私に託して祖母は亡くなりました。
義理の祖母が亡くなってからも、相変わらず義母と主人は以前と同じようにケンカをする毎日でした。
ある時、私が子供を連れて家を出て行くかもしれないと思ったらしい義母が、こう言いました。「ヤスちゃん、ヤスちゃんがこの家を出て行く時には、ヤスちゃんがイヤや言うてもついて行くき」と。そんな義母を泣かせたくはありませんでした。
義母も、一人息子である主人を大事には思ってきたのでしょうが、自分が実の母親から愛情を注がれなかったという思いがあり、ましてや片親で育てていかなければならなかった義母にとっては、どうにもならない思いがあったろうと思うのです。

「もう死んで!」と叫んだ娘

 そうしていても月日は経ち、子供たちは大きくなり、仕事を持って独立していきましたが、主人の酒癖はエスカレートしていき、ついにアルコール依存症となってしまったのです。
朝といわず夜といわずお酒を飲むためだけに生きているかのようになってしまった主人。夜中にも目が覚めると、水代わりに一升瓶に口をつけてお酒を飲むのです。
お酒を飲むのを私が止める。主人がお酒を隠す。私が探す。ついには飲み過ぎてわけがわからなくなった主人に、庭先の池に投げ込まれそうになったこともありました。
もう耐えられない!
どうしていいのかわからない!
ぎりぎりの精神状態になった、そんな矢先に、離れて一人暮らしをしながら仕事をしていた娘が、家から職場に通う決心をしてアパートを引き上げ、遠い我が家に帰って来てくれたのです。遠距離通勤でお金もかかるし、疲れるだろうに、親を思っての娘の決心に本当にありがたく、また申し訳なく思った私でした。
その頃、義母は足腰が弱り、介護が必要となってしまい、介護施設にお世話になるようになっていました。
娘が帰って来てからも、主人は飲み続け、私も娘も夜も眠れない毎日で、疲労はピークに達し、とうとう主人に向かって娘は「お父さん!もう死んで! あんたなんか人間じゃないっ!」と、涙ながらに叫んだのです。
私は私で、何を言っても聞く耳を持たない主人に、あきらめにも似た気持ちで、私さえ辛抱すれば……と思うばかりでした。
そんなどうすることもできない毎日が続きましたが、さすがの主人も体力の衰えと、帰って来てくれた我が子の決心に心を動かされたのか、お酒を断つと言い出したのです。
その時は気づきませんでしたが、今から思えば、主人自身が一番お酒を断ちたいと、心の底ではもうやめたいと、そう思っていたのでしょう、きっと……。
そして、その決心通り、主人はお酒を断ちました。今から六年前のことです。でも、それですべてが解決したのではないことを、あとで思い知らされることになったのです。

ついに爆発した私

 やっと私たち一家にも穏やかな暮らしがやってきたと、私は胸をなで下ろし、嫁に来て四十年ぶりの安堵感に包まれて数年経ったある日のこと。主人の新たな女性関係が発覚したのです。
「もう許せない!」
今まで我慢に我慢を重ねてきたものが、ついに爆発しました。
結婚前から実家の父母がやっていた「こころの会」の集まりの中で、主人の女性関係のことを話してしまったのです。
人に話せば楽になれると、最初は衝動的に口にしてしまったのですが、主人の恥をさらし、また自分の恥をもさらして、今まで我慢だけが取り柄だと信じていた自分が急に恥ずかしくなり、心も重く、なんで言ってしまったのか悩みに悩んで後悔し始めたのです。
そんな時に、その集まりに来ていたある方が、「悩みや自分の思っていることを人に話すことで、解決できることはたくさんありますよ。隠したりガマンしても、かえって問題は解決できずに、次々と先送りされるだけなんです」とおっしゃったのです。
私はその言葉に救われた思いでした。新鮮な思いに包まれました。言って良かったと、心から思いました。今まで主人の言葉や行いで傷ついてきたけれど、誰かのひと言に救われることだってあるのだと、初めて思いました。
主人は、まさか私がみんなの前でそんなことを言い出すとは思ってもみなかったのでしょう。驚くと同時に、自分もまた自分のやってきたことをみんなの前で話し始めたのです。
こうして、少しずつですが、私たち家族の問題は解決の糸口が見えてきたのです。

しあわせになる!

 今となっては、私がもう少し早く爆発していれば、主人も私もまた違った人生があったのかもしれないと、ふと思うのです。あの爆発は衝動的でしたが、結婚して初めて、自分の本音で、飾らないはだかの心で、主人にぶつかっていった行為だったと思います。
つい最近気づいたことをあえて言いますと、この四十年間というもの、お酒を飲み、女遊びをし、勝手気ままに私を裏切ってきた主人を、どうしようもない人と心の中でバカにし続けて、主人を見下げて自分を慰めて生きてきたように思うのです。態度には出さなかったつもりですが、主人はたぶん、そういう私に気づいていたのだろうと思い当たりました。
主人は、親から愛情を注がれて育っていません。そんな家庭環境じゃなかったんです。だから、家族を大事にするとはどういうことかわからないんです。できないんじゃなくて、知らないんです。
私だけが被害者意識を持っていましたが、主人も、ある意味で被害者なんだと思います。お酒を飲むには飲む原因があったんです。
そんな自分に気づけたのは、何度も繰り返し私の話を聞いてくれた「こころの会」の方々と、いつも私を支えてくれた二人の子供、そして義母のおかげです。心から「ありがとう」と言いたいです。この言葉、主人にはまだ言えていない言葉です。
主人は義母にも本当にやさしくなりました。こんなに変われるものかと思うほどに。
自分だけがガマンしていても何も解決しない。お互いに口に出して語り合うことの大事さを痛感しています。
お金や物ではない、心の安らぎ。今まで一日たりともなかった安らぎの日々の中で、これが本当の幸せなのかと、こんなにも楽なものなのかと、つくづくかみしめています。
やっと家族でいろんな会話ができるようになった我が家。40年前に見た夢の続きは、まだまだこれからだろうと思っています。
何せ、私もやっとここにきて、自分で「しあわせになるぞ!」と決心がついた今日この頃ですから……。

(大きな乗りもの 2006年08月号)

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