No.24

しあわせになる!
今、改めてスタートを切った
私たち家族の決意です。

高知県高岡郡 岡本珠実(39歳)

アルコール依存症の父親

 父は長年、アルコール依存症で苦しんできました。当人の父は本当に苦しかったでしょう。でも、苦しいのは父だけではなく、母をはじめ家族全員が苦しんできました。
生き地獄のような生活とは、当時のあの生活のことを言うのだと思います。子供の頃の思い出で、いい思い出はまるでありません。最悪でした。
私が物心つく頃には、父はもう相当飲んでいました。昼も夜も、飲んでいるのが当たり前で普通の状態でした。父のイメージは、お酒を飲んでいる父、それしかありませんでした。
父のお酒は有名で、親戚はもとより、街の人たちにも知れ渡っていました。レッテルを貼られていたのです。
でも、その頃はまだ、かなり飲んでいるとはいえ、アルコール依存症とまではいっていなかったように思います。
もともと短気だった父のこと、当然のごとく母とぶつかり、祖母とぶつかり、いさかいが絶えませんでした。私は、その言い争いの声を聞くのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。
父親としての役目を何も果たしてもらっていない――。私は普通の父親がほしい。出世なんかしなくてもいい、普通に仕事をして、普通に会話ができて、みんなで食卓を囲める家族がほしい……。そんな家庭がとてもうらやましく思ったものです。
しかし、そんな些細な望みさえも、望むべくもありませんでした。常に酔っぱらっていて、相談相手にも、話し相手にもならない。子供の話を聞こうとしないんですから、父に何かを言っても仕方がありません。あきらめしかありませんでした。

母が喜ぶことをしよう!

 いつも苦しみ、周りの人からは「旦那が酒を飲むのは、女房のあんたが悪い」とさえ言われた母。死のうとまで思い詰めながら、それでも耐えて、家族のため父の代わりに懸命に働いて生きてきた母。我慢して我慢して、そのストレスはすごかったと思います。
母は、私たち子供をやさしく包み込んで見守ってくれました。その母のやさしさだけが救いでした。私の心は、自然と母にだけ向かっていきました。
母に心配をかけたくない、母が喜ぶことをしよう! そう思うようになりました。私自身がしたいことではなく、母が喜ぶことを。それがベスト。それが私のすべきことであり、それが私の役目――。
思えば、かわいげのない、子供らしからぬ子供だったと思います。学校でもどこでも、何かを頼まれると完璧にこなそうとしました。頑張りました。
先生からは「とても責任感がある」と言われたものです。でも、それもこれも、すべては母のためでした。母に心配をかけたくないという一心でした。
いつの間にか、常に母のことを考えて行動する習慣がついてしまったんです。

自分の周りにバリアーを張って

 私が20代の頃のことです。私の友達の結婚式の帰り、送迎バスの中で酔っぱらったおじさんたちに聞かれました。
「あんたはどこの娘さん?」と。
私は「岡本です」と答えました。そうすると、こう言われたのです。
「岡本って、岡本謙さんとこの娘さんかい? ああ、あれはアルコール依存症や」
バスの中で、みんなの前で言われたのです。ショックでした。恥ずかしくて、さらに父を恨みました。
父のお酒は毎日のことで、私たち家族にとっては、ある意味でごくごく普段の状態でした。慣れていました。友達も、うすうすは知っていたと思います。でも、やっぱり隠したいという思いはあったんです。
そんなことがあると、余計にしっかりしなければ、と思いました。「やっぱりあの親の娘だから……」と言われるのが、すごく嫌だったんです。言われたくなかったんです。
自分の弱みを見せてはいけない。家族のダメなところをみせてはいけない。そんな思いが強く、父のことは絶対に口が裂けても言いませんでした。
親に甘えることもせず、人に甘えることもせず、何かを誰かに相談することもなく、すべてを自分の中で処理してきました。本音を出すことができず、自分の周りにバリアーを張っていたんです。
それは、自分を隠して生きることでもありました。

心の中で父の存在を消して…

 高校を卒業してからの私は、親戚の家から専門学校に通い、その後10年間ほどは会社勤めをしました。高知市内での独り暮らし。多少の開放感はありましたが、やっぱり母のことが心配でした。
その後、友達の縁で病院でリハビリの助手をするようになり、平成10年には言語聴覚士の国家資格を取りました。身体ではなく言葉のリハビリです。初めて国家資格になった年で、一期生の言語聴覚士でした。
でも、その頃から、父のお酒がますますエスカレートしてきたんです。それで、私は実家に帰り、実家から高知の病院に通うようにしました。
遠くて大変でしたがやっぱり母を一人にはできなかったんです。母がストレスで倒れてしまうんじゃないか、私の頭の中には、その心配だけが占めていました。
父は、身体をこわして入院してもお酒をやめられず、まだ飲み続けました。朝起きたらお酒、昼間もお酒、夜もお酒。朝から晩まで、夜中でも目を覚ますと飲む。家の中だけでなく、家の周りのあらゆる所にお酒を隠しておいて飲む。毎晩のように街に出て行っては飲む。まさにお酒なしではいられない身体になってしまったのです。
私も、いろんな本を買ってアルコール依存症の勉強をしました。でも、父にお酒をやめさせることはできませんでした。
まさに地獄でした。なんでこの人は人を苦しめるためだけに生まれてきたんだろう、いなければいいのに、早く死んでくれたらいいのに、そういう思いがずっとありました。心の中で父を殺し、父の存在を消していました。そうせずにはいられなかったんです。
いつか私が本当に父を殺してしまうんじゃないか、そう思う自分自身が恐くて……。

父の決意

 6年ほど前、父は在家仏教こころの会がやっている七面山修行に行きました。山梨県の日蓮宗総本山・身延山久遠寺を参拝したり七面山に登って自分自身を見つめ直す修行です。
家族は止めましたが、私は一瞬の躊躇はしましたが、行かせてやりたいと思いました。父が初めて自分で決心したことですし、その父の決心が伝わってきたんです。
七面山には、久保角太郎という、こころの会の創立者の記念の宝塔があります。父はそこで、土下座をして「酒を絶たしてください」と念願したそうです。
父は、幼い頃に父親を戦病死で亡くしています。その最後の言葉は「お国のためと出て来たからには、ベッドの上で死にたくはなかった。敵の玉に当たって戦場で死にたかった」というものだったそうです。
物心ついてからその父親の最後の言葉を聞いた父は、父親に誓ったそうです。「親父の血を継いで立派な男になってみせる」と。その自分がアルコール依存症。
父にしてみれば、そんな自分が情けなくて仕方なかったと思います。でも、どうにもならない……。
父は、久保角太郎という人に自分の父親をダブらせていたのかもしれません。だから、七面山で自分の父親に誓ったのでしょう。「酒をやめる!」と。
  その決心は本物でした。以来、お酒は一滴も飲まなくなりました。家族みんながびっくりするほどの変化です。
まだまだ我が家にはいろいろな問題があります。父の体はお酒でボロボロ。さらには、お酒を飲んでいた頃の女性関係……等々。
あの我慢強い母が、ついにみんなの前で「ゆるせない」と爆発してしまいました。それは今まで見たことのない母の姿でした。自分の感情を人前であらわにすることなど、一度もなかったのですから。
その直後には、家庭の恥をさらしたことで後味が悪かったと母は言いましたが、でも結果的には、それがよかったようです。私も母も、何かふっきれてスッとしました。
隠して我慢しているだけでは、問題を先送りにするだけで何も解決しない。洗いざらいさらけ出したことで、これで一歩前に進める。そんな感じがしました。

当たり前の親子関係がうれしい

 父は、今、頑張っています。お酒を飲まないこともそうですが、女性関係のことも人の前で話し、素直に謝っています。
私たち子供には何も父親らしいことをしてくれなかった父ですが、孫はかわいくて仕方がないようです。今は結婚して別に暮らしている弟の子供のことです。でも、父自身が父親からも母親からもかわいがられたことがないので、どう一緒に遊んでいいかわからないようです。
つい先日、父も変わったなあと、母と話したことがありました。
祖母が10年以上前から介護が必要になり、施設に入っていて、時々家に帰ってきます。でも、父は一切祖母のところへは行きませんでした。ケンカになるからと。それが、「オレが野球でも一緒に見ながら守りをするわ。今までの罪滅ぼしよ」なんて言いながら行くようになったんです。そして、一緒にテレビを見ながら楽しそうに話をしているんです。
その様子を見て、母と私はビックリです。これは私たちにするとすごいことなんです。
父は厳しい母に育てられて、母親からやさしくされたことがないので、親の愛情に飢えていたんだと思います。祖母も内心うれしそうで、顔つきが変わってきました。もちろん父の表情もやわらかくなってきました。やっぱり親子ですね。
やっと普通の人間らしくなりつつある父。自分の主張を少しずつ表に出すようになった母。私も、最近になってやっと、本音を出せるようになってきました。
家族がお互いに思いを出すと、やっぱりぶつかることもあるし、口ゲンカにもなるんですね。でも、ケンカができる家族、それがうれしいんです。
やっと今、今までになかった親子関係、当たり前の家族関係をしている――。そう痛感しています。
昔は、私たち家族をしあわせにするのは父親の役目。でもしてくれない。父さえいなかったらしあわせになれる……そう思っていました。でも、最近はちょっと違ってきました。しあわせになるのは、やっぱりそれぞれ自分自身なんですね。
母には、今まで苦労してきた分、本当にしあわせになってほしいと思います。そして弟にも、父にも。もちろん私も、私自身の力でしあわせになります。
私たち家族は、まだまだこれからです。これからがスタートです。
「しあわせになる!」
私たち家族の決意です。

(大きな乗りもの 2006年07月号)

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