【しあわせになる本の紹介】 No.04

自分の存在を認めて欲しい人は両親。
僕の真実を語ります。

東京都国分寺市 坂入顕治(30歳)

自分の始まり

 自分について語る時、僕の場合はまず家族の話からになってしまう。
家族の中でこんなふうに育って、家族の中でこんなことを思っていて、だから今、こんな僕がありますって。
昨年の東京「同志の会」で、父と向き合って話をする機会を得ました。その時、初めて父の本音を聞きました。そして、僕も両親にずっと聞いてほしかったけど話せなかったことを、ようやく話すことができました。

    「家族の始まり」

    知らない二人 二人が出会った
別々の場所 別々の思い出 違う思い
その二人から 僕が生まれた
そこにもう一人 子供がいた
僕が生まれて その子供は兄となった
そして 僕は弟と呼ばれた
二人の思い 僕たちの思い
優しさは同じでも いつからか ズレ始めた
それは 家族だったから
ホントを話せなかったね
でも 家族だから ホントを話したいね
傷つけたら ごめんなさい
でも ここから始めよう
僕の話を聞いてください
二人と違う 僕の思いを
そして 二人の思いを話してください
僕たちと違う 二人の思いを

いい家族って?

 我が家は“いい家族”と言われていました。仕事熱心な父、家事とパートをうまくこなす母、何不自由のない生活。しかし、我が家は社宅で生活しており、近所には父の親戚が住んでいたので、人前で我が家の恥をさらすことは絶対にタブーだったのです。そういう意味で見せかけの“いい家族”。
少なくとも僕にとっては“いい家族”とは思えなかった。核家族化が定着し、“かぎっ子”という言葉に象徴される時代にあって、僕は一人で過ごすさびしさを抱えながらもそうとは言えず、頑張る両親の背中をじっと見ていた、そんな子供時代を過ごしました。
しかも、子供だった僕にとって我が家はまるで、「父と僕の父子家庭」と「母と兄の母子家庭」が一つ屋根の下で生活を営んでいる、そんな感じがしていました。
たとえば兄弟ゲンカ。「僕」VS「兄」で始まった兄弟ゲンカは、いつの間にか母が加わり、父が加わり、「父・僕」VS「母・兄」となっている。そして最後はいつも、父が兄に「お兄ちゃんなんだから」ととどめを刺し、兄は「私がすべて悪うございます」とひねくれて返す。何とも消化不良な兄弟ゲンカが繰り返されました。
それでいながら両親はよく、「兄弟二人きりなんだから」と言ってきかせました。でも、そんな家庭環境の中で、僕たち兄弟は自然とお互いに関わりを避けるようになっていきました。

いい子って?

 そんな環境下で、母は僕に対して厳しく、“いい家庭のいい子”を強要しました。母は怒ると僕を仏壇の前へ座らせ、燃える線香の先を手の甲に押しつけようとする。僕はそんな痛い思いをするのはイヤだと泣き始める。それでも母は許してくれず、手の甲に当たる寸前まで線香の先を近づける。僕は怒られていた訳さえも忘れて恐ろしさから謝り、ようやく解放してもらえる……という厳しい“しつけ”。
僕は次第に、いい子=従う子、なのだと覚えていきました。そうしなければそこでは生活できないことを自然とつかみ取り、人の顔色をうかがい、考えや行動や言葉を頭の中で確認してから表すようになりました。だから、自分の中に唐突に湧いてくる喜怒哀楽の感情さえ不快に感じ、それを表すこと自体も苦痛に感じるようになっていきました。
あの時の僕は「好かれる子供でいたい」「誰かに自分の存在価値を認めてほしい」と、そうと知ってか知らずか思っていました。だから、心の中では抵抗し舌を出しながらも僕は、従ういい子を演じていたのだと思います。

十六歳の決断

 高校2年の春、僕は学校に行かなくなりました。両親からすれば突然に、僕としては意識的に、です。理由は、学校内での「暴力」でした。僕の学校では、先生が言うことをきかない生徒を殴る。そして殴られた生徒は同じクラスメートを殴る。それが日常茶飯事のように繰り返されていました。
僕は殴る側でも殴られる側でもなかったけれど、その場所にいながら暴力を止めもできないばかりか何も言えず何もできない自分に、そしてそんな学校生活に、心はいつも泣いていました。だんだん学校へ通う意味がわからなくなり、部屋にこもるようになりました。それが、僕にできる唯一の抵抗と自己主張でもありました。
でも、両親に、学校に行かないホントの理由を話せませんでした。暴力を振るう先生に対しては“いい子”でいることを放棄した僕だけど、両親だけには“いい子”だと思われていたかったから。
その頃、“いい子”だと思われる方法を自分なりにつかみ、“いい子でいなければいけない”という枠に囚われていたので、本当の気持ちを表現することは、やっぱりできませんでした。
もちろん、学校へ行かないのはよくないと自分でもわかっていました。でも、それができない自分、現実から逃げている自分、そんな自分に頭を抱えながら、学校って? 友達って? 自分って? 生きるって? と、ただ悶々と一人で悩みました。
でも、自分が自分に投げかけるすべての問いに対して、決まって「このままでは、イヤだ」と首を振る自分がいました。

何気ない父のひと言

 当時、僕に限らず高校中退者率は高かった。でも、世間体を気にする父は僕に、「18歳までは、俺の子供だから俺が守る。しかし、八時から十八時までは家を出るな」と言いました。
そう、その何気ないひと言。でも、そのたったひと言が、僕の胸に突き刺さりました。一生懸命“いい子”でいたはずの自分は、もう“悪い子”になってしまったんだ……、だから、八時から十八時という学校に通っていた時間を家の中に隠してしまえばいいと思っているんだ……。
そのひと言を僕は、あたかも両親に自分の存在を否定されたように感じ取ってしまったんです。
両親は、近所の人にも、親戚にも、誰にも、この事実を言いませんでした。だから、僕も真実を隠しての生活を強いられました。
中退した年に母方の祖母が亡くなったんですが、僕は通ってもいない高校の制服に袖を通して葬儀に参列しました。親戚に「付属の大学にも行くの?」と聞かれた時も、僕は「行かない」としか答えられませんでした。正確には「行けない」のに……。
この時期、僕は本当にたくさんの嘘をつきました。それは両親だけでなく、自分も世間体を気にしてついた嘘でもありました。だから、今この場を借りて言いたい。その時に嘘をついた人へ……、「ごめんなさい」。

カゴの鳥の時間

 僕は学校へ行かない代わりに、自宅で詩や絵を描いて時間を潰しました。先の見えない不安、「死にたい」「どこか遠くへ行ってしまいたい」と自分の存在を自分で否定する毎日の中で、詩や絵を描くということは自分を表現するために必要なものになっていきました。
その頃の僕は、世の中も、両親も恨んでいました。「どうして、こんな僕をつくったんだ」「この世に生まれてこなければ、幸せだったんじゃないか」と。「僕さえいなければ、両親は高校中退という“悪い子”を持つ親から解放されて、幸せに暮らしていけるはずだ」と。
でも、詩や絵を通して見えてきたものは、“死にたい僕”と“生きたい僕”が闘っているということでした。そんな時に、“生きたい僕”が見つけたのが、こんな言葉――。

 普通のことができない僕は
もしかしたら
普通の人ができないことが
できるかもしれない

 自分自身でつくっていた劣等感は、発想の転換で、受け入れられることを知りました。同時に、“いい子”“悪い子”という枠を壊して、“自分は自分を生きよう”と思えたきっかけでもありました。
その後、僕は両親と当時の職場の上司の理解もあって、高校に編入し、専門学校を卒業しました。

左手の母の記憶

 とは言っても、僕は自分を受け入れつつも、いつも何かが引っかかっていました。
ある日、僕は勇気を出して、当時なされたしつけについて、両親に聞きました。「あれは本当にしつけだったのか?」と。それに対し、父は「虐待に近かったかも」と言い、母は「あんたが言うことをきかないから」と言葉を濁しました。
母はどうして、あんなことをしたのだろう?
ある日、燃えるタバコを、母がしていたように手の甲まで持っていき、自分の手に押し当ててみた――。
「…………」
熱さより虚しさで涙が出ました。あわせて、母が手の直前でやめたということに母の愛を感じました。僕を本気で傷つけようとは思っていなかったんじゃないか、と。母は母なりのやり方で何かを伝えようと、教えようとしていたんじゃないか、と。さらにそこから、僕自身が母を母親として認めていなかったんじゃないか……。いろんな思いが見えてきました。
その時の傷は今でも残っています。もちろん、バカなことをしたなあとは思っていますが、今では、僕が母にも愛されていたことを実感できた刻印に変わっています。

兄と二人の時間

 ある時、兄の会社が突然倒産しました。父から「引っ越し等々の手伝いに行きたいが、忙しくて行けないから代わりに行ってくれ」と電話があり、僕は兄の元へ向かいました。
兄は、すぐにも住んでいる所を出て行かなければならない、そんな状況なのに、そこを離れることを拒んでいました。僕としては、実家で両親が待っているのにという焦りもあり、ケンカを繰り返しました。
そんな兄弟二人きりで過ごす時間の中で、お互いに腹を割って話をしてみて、兄も僕と同じように“いい子”に囚われていたということに気がつきました。兄は長男として、両親の期待に応え、プレッシャーに耐え、生きてきたのだと、その時初めて知りました。

改めて、いい家族って?

 生まれて30年ですが、家族というものを改めて振り返ってみて、“いい家族”と言われても難しいなと感じています。
当時、“いい家族”とは思えなかったのは、僕が両親に望む愛情と、両親が僕へ求める願望や期待にズレがあったからだと思います。親子といっても違う人間だから、当然のことではあるけれど……。
でも、そのズレは、お互いの思いを、お互いが言葉にして伝え合うということができなかった、そのことから生じていたんだと気がつきました。僕も含めて、家族みんなで、もっともっと「そうなんだよ」「こうなんだよ」って、いろんな話ができればよかったなと思っています。当たり前にできているつもりでも、実はなかなかできていないことなんじゃないかなって、改めてそう思っています。
これからゆっくりと、他人から見た“いい家族”じゃなくて、ありのままの僕が自然体でいられる、そんな“居心地のいい家族”にしていきたいと思っています。

僕は生きる

 実は「同志の会」前に母と衝突したんです。「どうして、お母さんは子育てに関して、『お父さんがね……』と避けるの? 夫婦二人で育ててきたんじゃないの?」と。そして、その時に初めて、母の本音を聞きました。
母は、「私もいい嫁と思われるために必死だった」と。母も“いい家族のいい嫁”の枠に囚われ、自分らしく生きられなかったということを打ち明けてくれました。
どうして両親はそこまでして“いい家族”をめざしたのか? 両親はどんな環境で、どんな思いで生きてきたのか?
これは今後の課題にしたいと思います。違った角度でまたさらに見つめ直すことができたなら、また新しい自分も見えてくるような、そんな気がしています。
「同志の会」で父と向き合えて、母とも兄とも向き合えたことは、本当によかったと感じています。
両親に、家族に、自分の気持ちを理解してもらえつつあると実感できている今、少しずつですが、自分に自信が持てるようにもなってきました。
何度も言うようですが、やはり自分の存在を認めてほしい人は、自分の命のもとである両親だと思います。その関係が修復できつつある今は、以前のように「死にたい」とは思っていません。
自分で自分のことを書きながら僕は、改めて今も自分さがしの途中なんだなということにも気がつきました。だから、この旅をこれからもまだまだ続けていきます。それで、あえて完結にはせず、最後を詩に代えさせてもらいます。

    「太陽と月」

    太陽と月が回っていると知らなかった頃
太陽の人と月の人がいると思っていた
太陽は明 月は暗
太陽の裏側を見たいと思った
月の裏側を知りたいと思った
もしかしたら
太陽の裏は冷たく
月の裏は暖かいかもしれない
人と 似ている気がした
表と裏を同時に見ることはできない

    大人になって
太陽と月は自転していると知った
でも 僕は知りたい
太陽の表と裏 月の裏と表を

(大きな乗りもの 2005年5月号)

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