【しあわせになる本の紹介】 No.03

「オレはおらんでもええんじゃろ!」
息子の心の叫びに、
親として、やっと目が覚めた日。

愛媛県四国中央市 渡辺小百合(55歳)

会社に行けない

 次男の様子が目に見えて少しずつおかしくなってきたのは、高校を卒業して働き始めた年でした。
車の免許を取得して3カ月ほど経った頃、スピード違反でつかまったんです。その時は、未成年ということで罰金ではなく、親と一緒に教習を受けてレポートを提出しました。
私たち親はあまり気にしていませんでした。もちろん違反はいいことではありませんが、主人も「誰でもあることじゃ。お父さんもあった。お父さんは免許停止じゃった。どうってことない」と。
ところが、それから数カ月が過ぎた頃、会社から電話がかかってきました。「出勤してないんですけど、体の調子はどうですか?」という電話でした。次男は、朝出勤していっても、会社の近くになると頭が痛くなって、そこから車を進めることができなくて、車の中で寝ていたということでした。
塗装の仕事で、作業着にシンナーの臭いがしみついていて、車の中にも臭いがこもっている、それで気分が悪くなるというので、そのことを会社に伝えると、会社は即座に対応して作業着の替えを何枚も支給してくれました。
それでも、出勤できないことが何度も続くようになりました。そして、会社を「辞めたい」と言うようになったんです。私は、「ちゃんと会社に行かないかんよ」と、子供を責める言葉ばかり言っていました。
実は、次男が働き始めたことで、「もう社会人なんじゃけん、自分のことは自分でやりよ」と、ふた言目にはそう言って、一気に大人に押し上げていました。長男は名古屋の大学に行っていて、やっと子供から解放された、自由になれたという勝手な思いが私の心の中にあったと思います。本当は、次男が会社に行けない別の理由があったんです。でも、私たち親は、その事実を知らず、また気がつきませんでした。

「18年間ありがとう」

 そんな日が続いたある時、次男が家に帰って来なくなりました。どこにいるかわからない、携帯電話に電話しても出ない。心配しましたが、どうすることもできません。
何日かして次男から電話がかかってきました。その時の会話はこんなふうでした。
「なんしよん?」
「ボクは会社を辞めたいんじゃ」
「どうしても行きたくないんやったらしようがないけど、会社というところはちゃんと挨拶をして、保険証も返して、ケジメをつけて辞めないけんのよ。だから帰って来なさい」
「今、新居浜の河川敷におる。よう帰らんけん迎えに来て……」
「男がなに言いよるん! 車で帰って来れるがね。帰っといで!」
今思えば、その時、すぐに飛んで行って抱きしめてやればよかったと思います。河川敷に車を止めて、車の中で寝て、コンビニで食べ物を買って……、どんなに辛く不安だったか。私に来てほしかったんだと思います。でも、冷たく突き放してしまいました。子供の心の底にあるものが見えない母親だったんです。
それでもやっと帰って来て、主人と3人で話した結果、年末に会社を退職しました。
しかし、「次の仕事をさがせよ」と言っているうちに、また帰って来なくなったんです。主人は留守電に「帰って来んのやったら一生帰って来んでええ! 好きにせえ!」と叫びました。私は私で「一生帰って来んつもりね。18年間ありがとう」とメールを入れました。
一時の感情とはいえ、本当に冷たい言葉だったと思います。あとで長男から聞いたことですが、長男に電話でこう言ったそうです。
「兄ちゃん、オレはな、先生の家にひと晩泊まって、友達の家に泊まって、そろそろ帰ろうかなと思ってたら、お父さんとお母さんからこんな冷たいこと言われた。絶対親に見捨てられた。もう家には帰れん」と。とうとうお正月も帰って来ませんでした。

免許停止の通知

 年が明けてから、次男に一通の書類が届きました。それは免許停止の通知でした。スピード違反をしたあと、また11月頃に違反をしていたんです。それで初めて次男が会社を辞めた理由がわかりました。
会社は交通ルールに厳しい会社だったこともあり、また家から遠くて不便な所だったので、車で通勤をしないと大変でした。でも、今度は絶対に免許停止になる、通勤できない。それを親に言えない。そのことが次男を苦しめていたんです。悩んだと思います。
次男から「2千円くれ。ボクは遠くへ行くけん」という電話がかかってきた時、免許停止の通知がきていることを伝えました。とにかく帰って来なさいと。
次男はお金がなくなって家に帰って来ました。そして、主人と私、たまたま来ていた主人の兄の4人で話し合いました。主人は、「オレはこいつがかわいいんじゃ。二人の子供がかわいくてたまらんのじゃ。これほど心配しよんじゃ」と涙ながらに話しました。主人の兄も「もう家におれよ」と言ってくれました。
それからは家にいるようになりましたが、やっぱり突っ張っている。それからひきこもりと反抗が始まったんです。

ひきこもりと反抗

 主人と私が仕事に出ている昼間は家にいる。私たちが帰って来る頃にフッと出て行く。そして、朝になって私たちが出勤したあとに帰って来る。そんな生活が続きました。
たまに顔を合わせると、「小遣いくれ」とか、時には「殴ってやろうか」とまで言うようになりました。私は私で「殴れるもんなら殴ってみい!」と言い返す。主人には怖くて言えないんです。全部私に向かってきました。そんな生活が辛くて、私は主人に当たる。夫婦ゲンカも日に日に増えていきました。
仕事から帰る時、帰ったらまたあの子がおる、またなんかある……。そんな帰りたくない思いで帰ると、やっぱり「オレのことはどうでもええんじゃろ!」と突っかかってくる。「そんなこと言ってへんやろ!」と口ゲンカが始まる。その繰り返し。なんでこんな苦しい思いをせんといかんのやろ? なんで……。
「オレはここの家族じゃないけん。兄ちゃんさえおったらええんやろ! オレはおらんほうがええんじゃろ!」
「オレはお前らの子じゃないんじゃ! 親でも子でもないんじゃ!」
「死んでやろか!?」
次男としては、働きたいけど働けない、そのもんもんとした辛い気持ちを私にぶつけてきたんだと思います。でも、私はその思いを受け止めることができませんでした。

心の叫び

 近所の人たちから、「この子、すごいさびしい思いしとるよ。愛情不足みたいよ」とか「そういう時期なんよ、怒ったらいかんよ」「もうちょっと待ってあげんかいよ」あるいは「一番辛いのは本人なんよ」と言われました。でも、そんなことはまるで考えもつきませんでした。高校生の頃は干渉しすぎると言われるほど世話を焼いてきた私だったんですから。辛いのは私のほうやと。
そんな葛藤の只中、在家仏教こころの会で開催している「同志の会」という集まりで、次男のそのままの話をしました。自分の苦しい思いを吐露しました。話すことで私の心が冷静になりました。そして、本当に辛いのは主人や私じゃない、本人なんや、そのことが私の胸に響いてきたんです。
そんな時、食事の途中で次男がポツンとこう言いました。
「お前らはどっち向いて話しよるかわかっとるんか。兄ちゃんのほうばっかり向いとろうが。オレがどんな気持ちで食事をしよったと思うんじゃ。オレが一人で部屋におる時、どんな気持ちでおったかわかるんか!」
「兄ちゃんと話す時はちゃんと正面向いて話しよるけど、オレと話す時はヨコ向いとろうが。この家に必要なんは兄ちゃんだけなんじゃ。オレはついでの子なんじゃ!」
そんなことないよ、二人ともかわいいんよと言っても、「いいや、違う! 兄ちゃんさえおったらええんじゃ」と、涙を流しながら訴えてきました。

兄と弟

 二人は小学生の頃からスポーツ少年団に入って野球をしていました。次男はそのまま野球を続けましたが、長男は中学から陸上を始め、注目される選手になりました。当時、次男にとって兄は自慢の兄でした。私たち親も、土・日はほとんど応援に終始するという、子供中心の生活でした。家族の会話も多く、普通以上に仲のよい家族だったんです。
長男はその後、陸上の強い学校に行きたいということで、今治の妹の家に下宿して高校に通いました。帰って来るのは一週間に一度。それも遠征や合宿もあってなかなか実現しません。だから、帰って来るといっぱい話したいことがあって、話題はつい長男になっていました。次男はいつも家にいるから行動がわかっているけど、長男とはたまにしか会えないから、自然とそうなっていたんです。そのことも次男には不満だったようです。
「オレがどんな気持ちで聞きよったか……」
「兄ちゃんが帰って来るとメニューも違う」
「応援も、兄ちゃんの時はいつも二人でいくけど、オレの時は父ちゃんだけや。兄ちゃんとオレを差別しとる!」
さびしかったんだと思います。それまで双子のように一緒にいた自慢の兄がいなくなったんですから。その上、次男一人になって、私たち親の目は次男一人に注がれました。「今、どこにおるん?」「練習は終わったん?」「早く帰って来いよ」「迎えに行こか?」等々、今にして思えば親の勝手な干渉だったと思います。
そんな次男の気持ちには、まるで気づきませんでした。本当に平等に見ているつもりでした。でも、次男からすれば違ったんですね。
それに、私自身が無意識に逃げていたのかもしれません。正直、「この子さえおらんかったら……」と、そんな思いになったこともあります。その私の気持ちが次男には伝わっていたんです。申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。次男の心の叫びにやっと気づいた私たち夫婦でした。

「いてくれてありがとう」

 主人と話しました。二人で協力して次男を支えていこうと。で、主人と二人で次男の部屋に行って話し合いました。子供たち二人が生まれてからのことを話しました。
「お前のことを信じとる。若いんやけん、あわてることないぞ。仕事もお前が納得いくまでゆっくりさがせばええ。長い人生や、1年や2年立ち止まってもかまん。何があってもお父さんとお母さんがついとるけん。絶対に応援するけんな」
私たちは、親としての心を固めました。何があっても、どんな子であろうと、この子を支えてやれるのは私たち親しかいない、だまってじっと応援してやろうと。
次男もその言葉で安心したのか、まもなく仕事を見つけ就職しました。今は落ち着いて生活しています。
「ボクのほうを向いてよ」という子供の心からの訴えに、なかなか気づけなかった私たち夫婦。でも、次男の問題があったからこそ、今の私たち夫婦があります。親子があります。子供に育ててもらったんです。夫婦とはどういうものなのか、親子とはどんな関係なのか、それを教えてもらいました。親としての喜びも知りました。子供の心に心を向けられる親になれつつあります。
思いを私たち親にぶつけてくれた次男に感謝しています。
「いてくれてありがとう」
よく夫婦で交わす言葉です。

(大きな乗りもの 2005年9月号)

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